2023年を振り返る

Kai
Kai

どんなことがあったかな?

2023年も残りわずかとなりましたね。今回は今年を振り返ってみようと思います。

まだこの時はMacquarie大学と、Wollongong大学、どちらに行こうか悩んでいました。初めての海外大学院の出願はわからないことだらけで、何もかもが手探りでした。ただありがたかったのは同じ境遇の友人がすでに先陣を切ってくれていたこと。彼に相談に乗ってもらいながら何とか進めました。

今年の3月までは高校の先生でした(今年だったことにビックリです笑。)3年生の担任として、入試指導では力不足ながら多くの子の指導に携わることができました。頑張る姿を間近で見ながら伴走すると、その成長を一層感じるんですよね。彼らの今後の人生で「あぁ、あの時頑張ってよかった」と思える時間となってくれていたら幸せなだなぁと物思いにふける限りです。

また、迎えた卒業式。卒業証書授与で彼らの卒業が認定された瞬間、ふわっと風船のように自分の手元から1つ大きなものが離れていく感覚を覚えました。4年前に担任として見送った時とはまた違った不思議な体験。きっと学年主任としての自分の役目を終えたことについて感無量だったのだと思います。

8年の旅に一区切り。教員として身につけた力は前回書かせていただきました。自分の出願も並行したのでかなり忙しかったですが、ありがたいことに奥さんをはじめ事情を知っていた多くの方から応援をいただけました。本当に恵まれていたと思います。また、生徒に負けないよう自分を奮い立たせて走り切った3ヶ月でもありました。

4月になり離任式も終えてひと段落。Wollongong大学への7月入学を決めました。それにともない6月下旬に日本を出国することが決まりました。今まで自分でやってこなかった健康保険などの手続きが面倒極まりなく、学校事務の方のありがたみを思い知った期間でもあります笑。また、出発までは短期や派遣のバイトをしたいと思っていたので少しワクワクしていた記憶があります。

落ち着いたタイミングで結婚しました。自分が結婚する日が来るなんて思っていませんでしたが、タイミングってのは向こうから来るもんなんですね〜。両家挨拶などのイベントがいくつかあり、やはり結婚するというのは大変な出来事なんだなぁと感じました。

僕の両親や奥さんのご両親が、僕の海外進学(with 奥さん)を前向きに応援してくれたのが本当にありがたかったです。おかげで今オーストラリアで奥さんと一緒に夫婦経験値を上げることができています。

改めて家族と向き合った3ヶ月でもありました。

大学で地元を離れてから教員を辞めるまでおよそ12〜13年、家族と過ごす時間は希薄になっていました。自立した姿に安心してもらいたかったというか、両親のおかげで一端いっぱしの人間になれたことを証明したかった自分もいたので、懸命に働くことで還元しようとしていました。

愛知の家を引き払ってからは、朝は実家で庭仕事、昼から祖母の家で畑仕事、合間を縫って大学の手続きみたいな生活でした。痛感したのは教員のストレスがいかに大きかったか笑。田舎町なので時間の流れもゆっくりですし、頑張った分の成果が目に見えますし、夜は友人に会えますし。けっこう衝撃でしたね。

ビザの申し込みやその他の手続きなど意外と面倒なものが多く、ほどほどに忙しかった記憶があります。そんなこんなで家族とコミュニケーションをじっくりとれた貴重な期間。それを経ていよいよ出国。なんと出国日には卒業生含めて多くの方に見送られることとなりました。

1ヶ月前のりし、奥さんが来るまでに住環境を整えるというミッション。馴染みのあるオーストラリアではありますが、メルボルン以外は正直よくわからなかった&ネット情報も少なかったのでウーロンゴンは未知の土地でした。しかし、ホームステイ先のホストが親切な方でお金関係の手続きや、大学関係の手続き、TFNや在留届といった諸手続きを手伝ってくれたこともあり、無事に奥さんと合流することができました。

当時のてんやわんわについて詳しくはコチラでまとめていますので是非↓:)

ウーロンゴンってどんな場所?

最初に行った手続き

TFNタックスファイルナンバーの申請

最初の1週間の振り返り

このために来ました。人生で初めて自分で高等教育に人生を費やしたいと思ったので、できる限り「単位を取るだけ」でなく「学ぶ」ことを意識しました。一人称として学ぶことに加え、メタ的に学ぶよう努めています。おかげで1セメスターを終えただけですが大学院生としての素地を得ました。

大学の友人にはそのまま大学を卒業してから進学されている方も見えます。僕は教員の経験値が大いに生きていて学びの助けになっていますが、それがないとさらに難しかったので、彼らは本当にすごいなぁと感心してしまいます。

詳しくはコチラでまとめていますので是非↓:)

ウーロンゴン大学の履修について

TESOL専攻 春期で学んだこと

英語力は伸びたのか・前期の感想

前期の成績 公開

セミプロのサッカー選手として活躍される日本の方が意外と多いウーロンゴン。シーズンが終わってからは月曜の大学で開催されるフットサルリーグに参戦しています。毎週木曜のウーロンゴンシティのマーケットでお好み焼き屋さんを出店している方(Hikaruくん)と意気投合し、そのまま誘われる形でフットサルに参加させてもらうことに。

週1の運動というにはあまりにも運動量が激しい活動ではありましたが、これがめちゃめちゃ楽しい!12月まで続く週一イベントとなりました。いい息抜き&運動となり、心身が健康的になりました。結果は何と2部リーグ1位。立派なトロフィーももらいました。来年はぜひ1部リーグで1位を取りたいですね(僕がいるかはわかりませんが笑。)

コーヒーやカフェが好きな僕が兼ねてから体験したかったのがバリスタ。もし大学でTESOLを専攻しなければ語学学校でTESOLコースとバリスタコースを取ろうと考えていたくらいには興味がありました。調べるとシドニーに1日でバリスタの取れる学校が! 行くしかないと申し込み、翌日に行ってきました笑。英語を学ぶというよりは英語を使って何かを学ぶという意味でいい経験でしたね。

1日でバリスタを取れるコースの紹介

今回のステイで初めてフライトを使った旅行に行きました。目的地は6年ぶりのメルボルン。奥さんは初めてのメルボルン。何とか気に入ってもらいたいという強い思いと友人に再会できるワクワクと、そもそも旅行として楽しむ気持ちに溢れていたので1週間の中に予定を詰めに詰め込みました笑。

旅行スポットやカフェなどをまとめましたので是非覗いてみてください:)

メルボルン旅行スポット

フットサルに誘ってくれたHikaruくんのお好み焼きの屋台のお手伝いを始めました。基本水曜、3時〜6時で開催されるマーケットでのお手伝いです。場所は綺麗な海と素敵な街並みに囲まれたKiamaカイヤマ。英語でお客さんと話せること、奥さんと一緒にお手伝いできること、雰囲気の良い場所へ週1で行けること。

何よりお好み焼きがめちゃくちゃ人気。オーストラリアの田舎だとそれを知らない方がまだまだ多いんですね。そういった方に食べてもらい、美味しいと言ってもらえることが嬉しいんです。こういう気持ちは今までなかったので貴重な経験をさせてもらえていると思います。酒を飲みながら楽しく売ってます笑。

お好み焼き屋さんの情報はコチラ!:)

とはいえ、生活するためにはまとまったお金が必要となります。僕の場合は時期の学費も考慮しないといけない状況です。仕事を探していましたが、返答・返信がもらえないのがほとんど。結果ツテを頼って時給もいい肉屋さんで働き始めました。朝早く、4〜5時まで働く環境のおかげで朝5:30に起きる生活習慣が身に付きつつあります笑。

どのくらい稼げるのかについてはコチラ

今年は決断の1年でした。

素敵な出会いがたくさんありました。

知らなかった世界をたくさん見ました。

嫌なこともつらいこともありました。

逆に日本の良さにも改めて気づきました。

来年も縁を大切にしながら奥さんと生きていきます。

最後にお世話になった全ての方に感謝して締めくくりたいと思います。では!

コメント

  1. 中谷和也 より:

    明けましておめでとうございます。以前のコメントにご返信ありがとうございました。

    自分が勤めた学校では、毎年個人写真の撮影があり、最初の頃のものでも30歳を超えているのですが、今の鏡に映る老人然とした姿と比べると時の流れを感じます。田舎に住んでいてメルボルンにVライン到着する駅だったSpencer Street駅がモダンなSouthern Cross駅になったり、トラムから車掌さんがいなくなったり、Melbourne Centralのところにあった大丸がなくなったり…と思い出してみますとやっぱり変わったんだなあと思います。

    暮らしにくくなったと感じられたの一因は、物価の上昇ではないかと思います。徐々に上がってきてはいましたが、ここ1年ほどの上がり具合は半端ないです。例えば卵一パック$2で買えるところもあったのに自分が買うダンデノンマーケットで$4.2、スーパだと$5はします。そして、賃貸の値上げが青天井でKaiさんも苦しんでみえるのではないかと思います。ずっと使っていなかったバックパッカーの8人シェアルームの値段が今は$50以上と聞いた時は、本当に目が飛び出しそうになりました(自分が利用していたときは、オーストラリアは小さな町でも安価なバックパッカーがあって日本より国内旅行がしやすと思ってましたが、今では日本にはカプセルホテルがあって…におきかわってしまいました)。

    賃金も今雇用主指名のビザをもらうためには確か最低年俸$70Kで、自分は最初$40K弱だったことを考えるとびっくりです。でも、逆に雇用する側からすると人件費の高騰は頭が痛い問題で、自分が勤めていたある学校では、欠員が出ると安く済む新卒者を入れていってある学年は2年目一人、あと二人新卒という、それありという編成をしていました。

    あとは、デジタル化です。田舎のボロい教室で働いていたときデジタルボードを使って授業するなんて想像もできませんでした。一本のVHSテープを授業のたびに巻き戻して使うなんてよくやっていたと思います。インターネットでいくらでも資料が手に入るようになったのは大袈裟でなく「革命」と言いっていいと思います。

    ただ、リモートワークが可能になったことによる人間の直に接触する必要性の減少とChat GPTを始めとする急激なAIの進化と一般化は、人間という存在が「考える葦」から「考えなくてもいい葦」になり得る時代の大きな転換期に来ているように感じます。

    長々と失礼いたしました。KaiさんとTaroさんに共通するのは非常にStylishなところです。ひとつ前の段落で触れたことは、お二人のような若者については危惧することではないのでしょうね。これからさらに飛躍されることは間違いないです!

    • Kai Kai より:

      明けましておめでとうございます。コメントありがとうございます!

      この10年ですら目まぐるしく変化したと感じています。移民の受け入れも含め、オーストラリアという国そのものが変わった印象です。Southern Cross駅は元々名前が違ったんですね。存じ上げませんでした。中谷さんのおっしゃられる部分はまさしく変化の核心を突いている気がします。30年変わらなかった日本がより引き立てていますね。

      物価の上昇は本当に悩みの種です。賃貸の件は現地の方にも深刻なようです。中国の投資家が参戦するとオークションに勝つことはほぼ不可能という時期が続いたこと、そこに政府が介入したこと、コロナの影響などをホストマザーが教えてくれました。ウーロンゴンも相変わらず開発が進んでいてこれからどうなるか見ものです。

      雇用の話は驚きました。抜け道は世の常ですが、教育の畑で人事をそのように変えてしまうのはいささか強引ですね・・・絵に描いたその場しのぎです。

      デジタル分野の革命は間違いなく世の中のあり方を変えたと思います。「考えなくてもいい葦」は言い得て妙ですね:) デジタルは世代間で抵抗の度合いも異なるので教育分野では非常に大きな課題です。浦島になりがちな教育分野だからこそアンテナを張る必要があると学びました(Taroくんもやりながらデジタル偏差値を上げていることと思います笑。)

      まだまだ力不足ですし、正直これからどうしようか迷っている部分も大きいですが、できる限り精進したいと思います。中谷さんの世の動向を捉える洞察、とても勉強になります!
      ありがとうございます。これからもよろしくお願いします!

  2. 中谷和也 より:

    丁寧なご返信ありがとうございました。

    ひとつ忘れていたことがありました。私は、最初オーストラリアの学校で日本語アシスタントをするというプログラムを通じてやって来ました。そのとき、受け入れ先の候補地が二つありました。一つは実際に滞在したニューカッスルでもう一つはウーロンゴンだったのです。

    同じ州にありながら、ウーロンゴンを訪ねることなくビクトリアに移ってしまいました。いつか行ってみたいと思っております。素敵なところのようですね。

    • Kai Kai より:

      こんにちは、こちらこそありがとうございます。
      そうだったんですか!ニューカッスルにみえたんですね。いつか行こうと思ってまだ行けていない場所ですが、素敵な街だと聞いています。そんなプログラムがあると現役のときに知っていたら、・・・残念笑。

      実は去年でさえウーロンゴンは調べても情報の少ないエリアでした。しかし、いざ来てみると落ち着いた雰囲気、フレンドリーな人々に溢れる街で大好きになりました。車や電車で行ける場所にはウーロンゴンに負けない素敵なビーチもあり、住むにもちょうど良い規模の街だと思います。シドニーから引っ越す方がいるのも納得です。ぜひお越しください:)

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