【教育実習】 教育現場で改めて考えさせられたこと。机上の理想論ではない実用的なアドバイスとは。

Kai
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教育実習で学んだことって実際、現場に通用するの?

ども、Kaiです。僕にとって最終学期となる秋学期がいよいよ始まります。教育を深く学ぶ立場として、今一度気持ちを引き締めようと思います。

そのためにも今回は教育実習での学び、その中でも実用的だったものに焦点を当て、実際に教育現場で改めて考えさせられたことについて書いていきます。

教員には4つの役割(四者:学者、易者、医者、役者)があると心得なさいという話でした。

「学者」であれ:学問に通じると共に、常に学び続ける姿勢をもつべきという教え。

学びそのものは勿論、その楽しさを伝えるのも教員の使命。それらを児童生徒が学べるよう、常に教科研究に努めることが大切。英語の授業がいかに生徒にとって有意義なものとなるか。僕もそこに多大な時間と労力を注ぎ込みました。

「易者」であれ:教員は進路指導力を磨くべきという教え。

児童生徒の易占えきせん、すなわち進路指導も教員には大切な能力です。将来を設計し、子どもたちが自信を持って進路を切り開けるよう支援する。入試1つ取っても進路指導は「点数が〇〇だから××大学へ行きなさい」では終わりません。

複雑化する入試形態。チャンスを掴むためにはデータや傾向を紐解き、それをチームで追う必要があります。そこには職員の協力だけでなく、保護者や中学校、大学の関係者といった学校外の人との関わりもあります。そうした渉外しょうがい的な力もおろそかにはできない要素として今日の教員には求められています。

「医者」であれ。

児童生徒の心身の成長について、正しい理解で接するべきという教え。昨今、新型コロナの影響もあり、保健室利用が増えています。彼らの症状は「気合いと根性」で片付けるにはあまりにも多様化しています。

タブレットやスマホ、PCが当たり前の世代に、以前の知識は時代遅れとなる可能性もあり、日頃から最新の正しい知識の習得が求められます。

「役者」であれ:何があっても「先生」という教え。

教員は演者です。現実、手のかかる生徒や面倒な保護者はいます。反りが合わない職員もいます。

児童生徒に当たる先生もいました。感情をコントロールできない先生もいました。生徒の前で他の先生の悪口やネガティブキャンペーンを平然と口にする先生もいました。また、嫌われるのが嫌で叱れない先生もいました。

教員は演者です。子どもと接するときはそういった個人的な思いを律し、あるべき「先生像」になりきりましょう。

この四捨五入を文字った「四者悟入」については言うは易く行うは難し、と言うのが率直な感想です。知識というより覚悟に近かったです。ただし、全てを完璧にしようとすると体が持ちません。生徒を主体にしていかに伴走者になれるか、これが大切。

これは非常に大切な教えとして、教員時代にも心に留めていました。

年度の始めでは何も言わなかったことを、年度の途中でいきなり怒り出すアレです。

多くは指導側に規準がないそもそも気分屋、もしくは他の人に言われて規準がブレてしまうのいずれかが原因と言っていいでしょう。どの原因だったとしても、指導された生徒は不信感を募らせてしまいます。これが横行すると、学年の秩序はボロボロです。

そうならないために、叱る規準は最初に伝えるのが得策。「上に立つ者の度量「貞観政要」が教える究極のマネジメント思考 」(田口佳史著)の言葉を借りると褒めるのは人間、叱るのは規則です。ダメなパターンはこれの逆で、規則を甘くして叱る時に人間が怒鳴りつけること。

最初に叱る基準を伝えるのは生徒との信頼関係とを築くための第一歩と言っていいでしょう。

なぜ先生になりたいのか。

この問いに対し、恩師の先生を上げる方も多いのではないでしょうか。志高く、熱心であれば十分に教育者としての資質があると言えます。ただ、気を付けなければならないのは今の教育は自分の受けてきた教育と大いに違いうるということです。

教員は得てして自分の受けてきた教育を絶対視する傾向があります。しかし、自分が教員になった時にはその手法はすでに時代遅れになっている可能性がある。

体験を美化するのは自由ですが、とらわれてはいけません。常にアップデートを心がけましょう。これはまさしく僕の授業方針に大きく影響しました。恥ずかしながら、カリキュラムがガラッと変わったことを教員になってから知った無知な僕にはかなり強く突き刺さった言葉でした。

部活や学校行事も少しずつ変わりましたし、コロナで拍車がかかりました。過渡期である今こそ、その教育活動がある理由はなんだろうと問いかけることを忘れないようにしたいものです。

多くの教員は頼られることが好きです。

きっとそういう方は教育を通して生徒を成長させる使命感をもっています。だからこそ衝撃を受けた言葉です。生徒は最終的には卒業し、自立していきます。その自立を支援するのが教員の役割。

伴走できるのは生徒が学校を卒業するまでです。自立すると言うことは「教員がいなくても生徒が自分たちで立派に生きていける」ことを指し、究極的には自身の不要化を目指すことになる。

教育とは一生懸命生徒と関わる中で、自分がいらなくなることを目指すと言う一見矛盾に思える行為。当時考えされられた言葉であり、教員になってからも常に頭の片隅にあった印象深い言葉でした。辞めた今でもそれが正解だったのか、自分はどうだったのか、答えは出ていません。

いかがでしたか。今回は、僕が教育実習で学んだことの中で、特に色濃く、教育現場につながった内容を書いてみました。今振り返るとこうした知識や言葉に出会えて本当によかったと思います。当時、僕を担当してくださった先生の鋭い視点。

これから教員を目指す方、すでになられて第一線で活躍されてみえる方、少し、肩の力を抜いて実習の時に自分が感銘を受けた言葉に触れてみてはいかがでしょう。きっと違った見え方があると思いますよ:)

では。

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