どんなことがあったかな?
ども、Kaiです。
今年も気付けば師も走る月。みなさんはどんな1年でしたか。
僕は8月までオーストラリア、残り4ヶ月を日本で過ごす1年となりました。そんな2024年を振り返ってみようと思います。
1月
姉弟参戦
姉と弟が年末年始にかけて遊びにきてくれました。実は彼らとは一緒に旅行をしたことがありませんでした。なんと最初の旅行がこんな形で実現するとは笑。
ウーロンゴン大学を見て回った後にビーチを紹介し、シーフードプラッターを一緒に食べました。また、年末はシドニーで花火観戦。奥さんと協力しながら13時間ほど席取りしたっけ笑。
年始はおせちの代わりにRocksでステーキ&チキンパルマ。シドニーの町を散策しました。帰りの終電で寝過ごしてUnanderraから歩いてNorth Gongまで帰ったのも良い思い出です笑。
肉屋に身を捧げる
ブッチャーで身を粉にして働きましたね。当初の予定通り、後期の学費分はほぼ稼いだと思います。
2月の後期が始まるまではフルタイムで働きました。大学が始まってからも週1で働き続けることで最低限の収入を確保できたのは精神的にも家計的にも助かりました。
2〜5月
一時帰国
1週間ではありましたが、友人の結婚式へ出席すべく日本へ臨時帰国。高校の時に一緒に帰宅していたサッカー部の友人だったので参加できてよかった。末長くお幸せにね:)
また、帰国中にサッカー部以外の友人・知人にも会いました。そして日本食という日本食を食べ溜めてきました笑。予期せぬ帰国でしたが、結果的にはとてもよかったです:)
海外大学院で本気で勉強Ⅱ
後期が2月下旬からスタート。気持ち新たに最後のセメスターが始まりました。
勝手を知ったからこそ前期にはなかった他に色々やりながら並行して勉強の質も担保するという点がチャレンジでした。
また、Capstone Projectやスピーキング・リスニングを扱う科目があり、非常に勉強しがいのある実践的な学期だったと思います。自分のプロジェクトはいつか博士論文にできたらいいなぁなんて。
また、新しく入られた日本の学生さんと仲良くできたのも良かったです。相変わらずTESOLは難しかったですが、仲間と共にやりきりましたね。お疲れ様でした:)
ボランティア
WIECという学校へ週1で参観ボランティアもしました。難民背景や家庭の事情で移住した英語を母語としない子どもが英語を学ぶ学校です。生徒は多国籍、レベルごとに少人数でクラス分けされており、公立のカリキュラムに沿った中高生用の語学学校といったところでしょうか。
自分がしたい英語教育とは何なのかを考えさせられました。また、行動力が大事だと改めて思い知った経験でもありました。
ホリデー パースへ
4月にあるStudy Recessという1週間の休みを使い、奥さんとパースへ行ってきました。Rottnest IslandやFremantle、Pinnaclesなど兼ねてから行きたかった場所を訪れることができました。
これにはクォッカやコアラとの触れ合いをバケットリストへ入れていた奥さんもニッコリ。往来込みで1週間だったので忙しなかったですが、とっても楽しい旅行でした。
旅行スポットやカフェなどをまとめましたので是非覗いてみてください:)
6〜8月
肉屋に身を捧げる
再びやってきました。身を粉にして働く期間が笑。帰国後に車を買うため8月初旬まで働きました。人間、目標があると頑張れますね笑。
嬉しかったのは僕が辞める日にみんながパーティを開いてくれたこと。クック諸島を家系にもつオーストラリア人、こだわり強くて仕事の遅いお爺ちゃん、みんなに好かれるボス。
一緒に働いていた日本の友人も気さくでおもしろく、ほんと優しい人たちと肉に囲まれていました。普通にまた会いたい笑。
ホリデー キャンベラ
首都キャンベラ。「あ〜あそこは何もない」と口を揃えて言われる場所。果たして本当にそうなのか。
それを確かめるべく日帰りでキャンベラへ行ってきました。正直な感想は頭の固い公務員が面白いと思う街として作られた街。
国会議事堂や美術館などありますが、住むには物足りなさが勝つかなぁ。ワイナリーなどもあるのでそれを求めて訪れるのは楽しいかも。街は発展中で今後10年でまた姿を変えそうな街、そう感じました。
ホリデー ニュージーランド
ニュージーランドも行ってきました:)
レンタカーでオークランドを周る北島の旅行。土ボタルやキーウィをお目にかかり、ムール貝やオイスターに舌鼓。
ロードオブザリングのロケ地も行ってきました。ホビット庄も少し前に改装されたのでタイミングも良かったです。リトルシドニーという印象で、どこか牧歌的な名残のある素敵な町でした。
オークランドを拠点に1ヶ月くらい滞在したい、そんな気持ちになりました。
本帰国
そして、いよいよ本帰国。多くの素敵な人に巡り合い、確実に僕らの人生に彩りをくれた今回の留学。
ホームステイ含めて大学を通じて出会った人、サッカーを通じて出会った人、肉屋を通じて出会った人、奥さんの職場や語学学校を通じて出会った人、SNSを通じて出会った人。
数えきれない人との出会いに溢れた1年ちょいでした。
9〜12月
束の間の休息 〜車を添えて〜
帰国後の1ヶ月は流石に少し休息をとることにしました。多くの友人・知人に会いました。話のネタはたくさんあったので話が弾む弾む笑。ちなみにこの流れは今も続いており、つい先日は高校の恩師にもお会いできました:)
また、車を購入しました。
どうしても車がいるんですね〜、田舎は笑。外車にしようかと奥さんに言ったら一蹴され、無事HondaのVesel(旧式)に落ち着きました笑。
サポート校の講師
新たに働き口を探していた僕の目に止まったのは通信制教育。結果、トライ式高等学院で働くことになりました。
生徒さんやスタッフさん、講師の方と楽しく仕事させてもらっています。愛知県の教員だった時の経験知や大学院での学びや経験が生きており、キャリアが着実につながっているのを実感します。
Wワークできる環境ということもあり、交流のある講師の方々の経歴もさまざま。異業種交流会さながら「自分も頑張らないとなぁ」と刺激を受けています笑。
UOW 卒業式
卒業式のためにオーストラリアへ。もはや何回行くんだ笑。正直、国内旅行へ行くのと変わらない立ち位置になってきました。
お好み焼きメンバーとサッカーして、教授や友人たちと再会して、奥さんの友人と再会して。しばしの別れを告げたあっという間の一時逆帰国でした。
専修免許の申請
結果的に、自分のキャリアを強くするための留学にもなったので、その機会は生かそうと決めました。手続きは現在進行形で進んでいます。
他県で教員を3年以上勤めたのちに辞め、海外の教育学の単位を携えて専修免許を申請するパターンがレアなため非常に手間取ってしまいました。
ウチではできません、そっちの県の話なんで、学校でやってくれ、県へ直接やりとりしてくれなど、数多の「やりたくない」と向き合った後、何とか申請まで漕ぎ着けました。
常に学び続けなさいと銘打っておいて、その証明や評価には後ろ向きな体制。誰が悪いわけでもないですが、教育の闇を垣間見た気がします笑。
最後に
なんか帰国してからも濃かったですね笑。いいことだ。
今年に掲げた抱負は
・ウーロンゴン大学を卒業する
・次の進路を考える
でした。
ウーロンゴン大学は無事卒業できました。次の進路は④その他の教育業界を現在選択している状態。来年度からどうするか・・・。そんな気持ちを残したままではありますが、今年お世話になった全ての方に感謝して締めくくりたいと思います。では!
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