【部活動を考える①】なぜ部活動は賛否が分かれるのか ― 学校・教員・教育効果の視点から

ども、Kaiです。大学院へ行っていたのが遥か昔のように感じるほど忙しない学校生活。改めて最近、考えるようになったのが部活動。何かと話題に挙がることもあり目に付くトピックです。

そこで感じるのは、なぜ部活動の評価はここまで分かれるのかということ。もっと言えば、なぜ議論が噛み合わないのか、その理由があるはずです。

部活動の是非は少し「森を見て木を見ず」ではないでしょうか。そこで今回は、部活動を語る上で見落とされがちな変数について、以下のように整理してみました。

・各学校での立ち位置
・教員の視点
・教育的な価値
・地域差という視点
・支える人々の考え方

今回は「学校内部の話」として指導要領および最初の3つの視点を考えたいと思います。

まず現行の大元は何と言っているのかを確認します。高等学校の学習指導要領(平成30年告示)では、部活動は次のように記載されています。

教育課程外の学校教育活動と教育課程の関連が図られるように留意するものとする。特に,生徒の自主的,自発的な参加により行われる部活動については,スポーツや文化,科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等,学校教育が目指す資質・能力の育成に資するものであり,学校教育の一環として,教育課程との関連が図られるよう留意すること。 その際,学校や地域の実態に応じ,地域の人々の協力,社会教育施設や社会教育関係団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行い,持続可能な運営体制が整えられるようにするものとする。

ポイントは次の3点です。

・本来は生徒が自ら選んで参加する活動
・教育課程の範囲外の活動
・ただし学校教育の一環として関連を図る

先に断っておきますが、多様な解釈が許されている現状を考察するのが今回の主旨となるので、以上のポイントは理解した上での話です。では掘り下げてみましょう。

学校を一括りにしない上で最も大切な観点です。表向きはしばしば「心身ともに成長するための教育活動」と銘打っていますが、

“生徒指導”と位置付けている学校
“文武の武”と位置付けている学校
“生徒募集の武器”と位置付けている学校
“進学の武器”と位置付けている学校

このように分類した場合(他にもあると思いますが、)それぞれの真の思惑は全く異なります

“生徒指導”として位置付けている学校ならば、無断欠席の指導や、普段の生活と紐づけて生徒の生活リズムを作るための手段として部活動を運営することが少なくありません。

たとえば部活動で面倒を見る分、生徒が校則を破りバイトや校外指導に関わらないようにできますし、顧問の先生の言うことを聞く点で、彼らの行動をある程度は管理することもできます。

“文武の武”として位置付けている学校ならば、無断欠席の対処などの低次元のステージではなく、勉強以外でも一生懸命になれるコミュニティとして機能させています。

学年の垣根を越えた交流がポジティブにはたらくことも多く、結果への過程などにも価値を見出している学校です。

多くの学校がこのタイプだと思います。ただ、耳が痛い話でもありますが、蓋を開けたら何となく続けているだけで、長いものに巻かれる主義にもなりやすい、と個人的には感じています。

“生徒募集の武器”として位置付けている学校ならば、結果にコミットする顧問や外部指導員が連携しています。最近、私立が運動系で一段と力を入れていますね。

また、珍しい部活などもこれに当たるのではないでしょうか。

昨今、少子化の加速や、部活動への強い風当たりもあり「いや、私は部活がんばりたいんだけど」という層を獲得すること自体が学校の生き残り戦術となっています。

“進学の武器”として位置付けている学校ならば、大学との交流や連携、顕著な大会の結果などを調査書に載せて、彼らの魅力を保証する武器として部活動を運営している部分があるでしょう。

わかりやすいのは全国大会出場、総理大臣賞受賞といった経歴や、キャプテンやキーメンバーとしての経験が挙げられます。

みなさんの学校は、正直なところ、部活動をどのように捉えているでしょうか。おもしろいのは同じ学校内でも各部活動で、その立ち位置がさまざまである点です。それが次の「教員の視点」。

部活動に対する教員の価値観も千差万別です。部活が命という方がいれば、全く無意味と考える方もいます。

それぞれもグラデーション。部活が命という方でも絶対やりませんという方でも「あくまで自分がそうであって、そうでない人もいる」という人がいれば「そう考えない奴はクソ」という過激な人もいます。

SNSでもよく燃え上がるので、こうした二元論者をよく見受けますよね。

もちろん、中間層も十人十色。生徒が頑張る分は少し被ってでもサポートしたい方もいれば、やりたくないけど他の顧問の圧力でやらされている方もいます。

ご自身の体調や家族(育児や介護など)を理由に「貢献したい気持ちはあるけどできない」という方もいれば、「だからやらなくて当然、他の人がやればいい」という方もいます。

「やっと自分の専門が指導できる」という方がいれば「昔、本当に自分の時間を犠牲にさせられたから、もうやりたくない」という方もいます。

要は、それぞれの教員に、それぞれの文脈があるのです。

そして、もう1つ重要な変数に“振る舞い方”が挙げられます。たとえば、上記の過激な人が、それを他の教員や生徒へ吐露とろし、共感を求め始めたら非常にマズい。

そんな他者卑下で自尊心を高める奴が教員にいるのかと失笑しそうですが、残念ながら、歴任校にはそういう人もいたので笑えないのが学校という世界。

コミュニケーションが上手でないと禍根を残すことも少なくないのです。個人的にはそういった即興のコミュニケーションに苦戦する方がSNSで燃えているのかなぁと勝手に思っています。

みなさんの職場の先生方は、正直なところ、部活動をどのように捉え、どう振舞っているでしょうか。

教育としての観点で言えば、部活動は素晴らしい効果を発揮しうる・・・と言えるでしょう。

学年の垣根を越えた数少ない活動であり、社会性を磨くのにピッタリです。また、他地域の生徒と交流する場所でもあります。

人格の完成が勉学だけで成り立つはずもないので、こうした授業外の活動は彼らの成長には非常に大きな役割を果たします。これは多くの前例が示す通りです。

しかし、その副作用も発生してきます。たとえば部活動がなければ生じなかった人間関係のこじれ。指導したことによる翌日の授業の雰囲気の悪化。歪曲した情報により起こる保護者対応など。

もちろん顧問の指導力不足も至るところに見受けられます。僕も第一顧問だったとき、自分の力不足を多分に感じていました。そんなとき、頼りにしたいのが学校の姿勢です。

管理職をはじめ、学校として顧問の不手際を指導し、無実の顧問を守る体制ができていれば良いのですが、そうでない学校も多いのが現状です。シンプルに考えて、委嘱されたのに切り捨てられた顧問が、教育効果を見出せるのでしょうか。

みなさんの部活動は、正直なところ、教育効果を信じて自身の時間を投下する価値があるでしょうか。

前半は以下の4つに焦点を当てて、なぜ同じ部活動なのに評価が割れるのかを考えてみました。

・指導要領

・学校の立ち位置
・教員の視点
・教育的な価値

ここまで見てきたように、同じ「部活動」であっても学校や教員によってその意味合いは大きく異なることがわかります。しかし、それだけではありません。

実は地域や保護者の考え方によっても、その姿は大きく変わります。後編では、学校の外側にある要因について考えてみたいと思います。では。

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