どうも、Kaiです。
大震災、火山噴火、大火災、飛行機事故。新年が明けてから日本では大変な出来事が続いていますね。微力ながら少し義援金を送らせていただきました。被災者・被害者の無事を祈るばかりです。
さて、今日は雑多な記事です。今回はプロフィールにも書いていますが、「経験値は勉強で埋められる」という僕の価値観について書いていきます。
能力不足は努力不足
ちゃぶ台を返すようですが、僕はもともと経験主義です。伝聞や風評に流されず、物事の真偽を自分で判断したいという気持ちが根底にあります。実際、自分で経験したことの方が力を込めて話せますし、経験の数だけ人生が豊かになりました。
しかし、教員になってから強烈に感じたことが1つ。それが
仕事において、経験によって得られる能力は果たして本当に経験によってでしか得ることができないのか
という疑問です。長年の付き合いや義理といった信頼は当然年月がモノを言います。そこに疑う余地はないと思っています。しかし、能力は自分次第なのではないか。能力不足は僕の努力不足であって、本気で勉強すればある程度の経験の差は埋められるのではないか(ここで言う勉強は、科学して分析することです。)
この疑問符が僕の転換点。ある程度それを確信したのは、自分がかつてすごいと思っていた先生の偉業をその先生よりも若くして再現できたときでした。
何をしたのか
僕は勉強で経験を埋められるハズだと仮定して、アクティブ読書に取り組み始めました。
①本を読みながら、「おっ」と思ったところをチェックしておく
②読み終えたらもう一度チェックしたところを吟味する
③「自分の生活にどう生かすか」を考えながら最後まで残ったポイントをノートにまとめる
①②をある程度こなしてからまとめて③をすると言った具合です。
このサイクルをアクティブ読書と言います。まぁ僕が勝手に自分でそう呼んでいるのですが、これが非常に良かったですね。朝30分は必ず読書するようにしました。
紙書籍、電子書籍両方読んでいました。紙面に凹凸がない電子書籍の方が早く読めるので実用書やビジネス本などの類は電子書籍の方がよかったです。ちなみにKindleのPaper whiteを使っていました。
リーダーシップ、チームマネジメント、思考系、教養などを読みました。特に実データや科学的な根拠に基づく本は好んで読みました。忙しい朝も必ず時間を割き続けました。意識高いと周りにからかわれても続けました。
1年以上続けたおかげで、仕事で人と話しているときはその人がどの深度で話しているのかを瞬時に把握、会議でも常に他の方の発言をメタ的に整理・理解できるようになりました。この成長は自分でも驚きの変化でした。そして、現場を動かしている意思決定が何を目的としてどこまでを想定し、なされたのかも推定できるようになりました。
この利点は現行の物事の決定に関わった人の当時の価値観を想定できることです。それを尊重した上でこうした方がいいという発言になっていきます。結果ただ単に「現状に合ってないから変えた方が良い」という意見よりも多くを踏まえている意見となり、本質を理解する先生には取り扱ってもらえるようになりました。
思考も自然と客観的、論理的になっていきます。
たくさんの本を読むというがポイントです。読んだ数の分だけ筆者の伝えたい思いがあり、考え方が多様であると気付くからです。すると、大体のことは落ち着いて対応できるようになります。落ち着いた雰囲気が生徒や保護者へ伝わります。それが安心へつながり、ゆくゆく信頼へつながるのです。
これにより、次第に説明できないものは「意思決定者が何かと理由をつけて変えたくないから」というものだけになっていきます。これは本来あまり望ましいことではないのですが・・・ただ、そういうものについては最後その担当者に責任をもって説明してもらえば良いので、自分の信用度に影響はほとんどありません。多くの方は「人」と「今」を見てくれているからです。
経験は勉強で埋められる
長年の経験がないと、仕事では一人前になれないのでしょうか。僕の答えは受け身ならYES、能動的ならNOです。例えば前述のような落ち着きは、経験年数がなくても努力で手に入れることができます。忙しい中で時間を見つけて継続する強さが必要ですが、決して不可能ではありません。
「育てる技術」などの名著を手がける石田 淳氏の言葉を借りれば技術とはやろうとすればできること。だから、仕事において経験によって得られる能力は、自分で伸ばすことのできる技術なのです。僕は正規で他の職種についたことがありませんが、本質的には同じではないかと思っています。
「あの人は堂々としていて、決断力もあるし、頭の回転も早い。」そういう人はきっと経験を勉強で埋めているのではないでしょうか。アクティブ読書、おすすめですよ:)
最後に
いかがでしたか。今回は僕の価値観:「仕事において経験は勉強で埋められる」について書いてきました。少しずつ経験値を積んでいくこと、当然これを疎かにしてはいけないと思います。多くの経験が人の言葉や行動に説得力を持たせるからです。その上で、多くの経験に基づく結果は科学できるという話です。
経験年数が少ないことを「経験がないくせに」という枕詞に変えて揶揄する先生が多かったのも事実。若い先生の中には素晴らしい方がたくさんいます。見習うところのある勤勉な年下の先生は周りにたくさんいました。経験だけでモノを見ないことが大切なんですね。
それこそインターネットや多くの書籍により、かつての先生方にはできなかった学びができる時代に現代人は生きています。そして、これは未来にも当然起こる現象です。将来の頑張り屋さんに幻滅されないためにも、先輩が10年かかったものをいかに5年、1年で到達できるか科学してみてはいかがでしょうか。
では。
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