こんにちは、Kaiです。今日は雑多な記事です。
唐突ですが、僕はオーストラリアが大好きで、今回で4回目の渡豪となります。何かを自身の経験踏まえて話そうと思うと1回自分の渡豪歴をまとめておいた方がいいかもしれんと思いまして、僭越ながらこれまでの渡豪歴をザッとまとめてみました。
学生、教員、退職後。
語学留学、事業派遣、生徒引率、大学進学。
振り返ると毎回立場や内容が違っていて意外とおもしろい。もし、興味いただければご覧ください:)
オーストラリア1回目
期間 1年(正確には11ヶ月)
場所 メルボルン
立場 大学4年生
名目 語学留学
目的 ネイティブのような話し方になること
記念すべき第1回は今から10年前、大学4年生のとき。1年休学して語学留学に行きました。
場所は「世界一住みやすい街」にも選ばれたことがあるメルボルン。英語がペラペラだとかっこいい、自分もそうなりたいという強い思いを胸に、特に当時スピーキングに定評のあったimpactという語学学校へ通うこととなりました。
この時の目的は「ネイティブのような話し方になること」でした。発音矯正やスラングの習得に励んだ1年でした。
オーストラリアの語学学校は午前か午後の授業。僕は最初、GE (General English) と呼ばれる一般英語コースを受講していました。その頃は午前の授業へ出て、昼からは友人と遊んでいました。IELTSコースやCambridge英検コースを受講するようになってからはその機会も減ってしまいましたが・・・。
オーストラリアはLanguage Exchangeと呼ばれる言語交流会が盛ん。そこへ積極的に参加することで日本に興味のある友人もたくさんできました。彼らと夜ご飯を食べたり、飲んだりしながら多くの英語の言い回しを教えてもらいました。10年経った今でも交流の続く友人です。
週3で学校の友人、週4でローカルの友人といった具合に週7で飲んでいたおかげで家賃が払えなくなり必死にバイト先を探したのも懐かしい思い出です。
初めての海外で、自分の価値観も大きく変化しました。この留学が僕の人生で最も大きな影響を与えたと言っても過言ではありません。具体的には性格が丸くなりました笑。あと、感情的に怒らなくなりました。
オーストラリア2回目
期間 5週間
場所 メルボルン
立場 教員2年目
名目 事業派遣
目的 先生の振る舞いや授業の工夫を学ぶこと
2回目の渡豪は社会人2年目、教員のスキルアップを目的として実施された5週間の海外派遣事業にご縁があり、再びメルボルンへ英語研修に行きました。
都市部の近郊にあるSwinburne工科大学のFoundationと呼ばれるコースに通いました。大学に進学したいが英語力が足りないという学生に向けて、橋渡しの役割を果たす言わば語学学校のようなコース。
自身の英語力を上げる使命はもちろんのこと、この時の目的は「先生の振る舞いや授業の工夫を学ぶこと」でした。
声の掛け方、モチベーションの上げ方、課題の出し方、課題のサポート体制など。そこで教員をされていたAndrew先生にランチに誘われて教育談義をしたのもいい思い出です。彼は韓国で9年ほどALTをした経験をもとに、イントネーションの重要性を教えてくれました。
ハード面については取り入れられないものも多かったですが、それでもこのプログラムを通した学びが僕の授業に大きな影響を与えてくれました。また、このプログラムで知り合った先生方と繋がれたのも大きな財産です。
オーストラリア3回目
期間 2週間
場所 メルボルン
立場 教員3年目
名目 生徒引率
目的 州立学校の授業を参観すること、活動の写真をたくさん撮ること
3回目は社会人そして教員3年目、当時勤務していた学校の姉妹校交流として2週間、参加生徒の引率者としてこれまたメルボルンへ行きました。
この時の目的は「州立学校の授業を参観すること、そして活動の写真をたくさん撮ること」でした(写真担当だったため)。Morningtonという都心部からは離れたところでしたが、素晴らしい場所でした。のんびりしていて、みなさん温かい。
その学校で知り合った同世代の先生(その先生のシェアハウスにホームステイしました)とは今でもとても仲のいい友人です。彼は翌年生徒引率で日本に来てくれるのですが、そこでもとても充実した時間を過ごしました。
そんなこんなで僕は縁のあるメルボルンが大好きなんです。田舎の方に行くにつれて訛りが激しくなるのもこの時実感しました。ある晩、彼が友人と遊ぶときに僕をつれて行ってくれた時の車内の会話が全くわからなかった時の衝撃ったらありません。笑
オーストラリア4回目
期間 1年間
場所 ウーロンゴン
立場 退職後
名目 大学進学
目的 TESOLの勉強を通し、英語教育をより深く知る
そして、この4回目。
シドニーから南へ電車で1時間半。ビーチで有名な街、ウーロンゴンへ1年住むことになりました。
メルボルンじゃないんかい。笑
教員を退職して1年目、TESOL MAを専攻するべくウーロンゴン大学へ進学します。TESOLとはTeaching English to Speakers of Other Languagesの略で、英語を母国語としない者への英語教授法になります。MAとはMaster of Arts、いわゆる大学院です。
TESOL自体は語学学校でも学べるのですが、海外で英語を教えたいなら、大学院まで行っておかないと取り合ってもらえないだろうと留学エージェントの方から話を受けたため大学進学に至ったのでした。
その中で、
・TESOLがどこの大学でも扱っているわけではない専攻科目であること
・大学時代に修得した単位で一定の単位を免除できるカリキュラム
・生活費や奨学金を含めた学費が他よりも安いこと
これを加味した結果がウーロンゴン大学でした。今回の目標は「TESOLの勉強を通し、英語教育をより深く知る」です。教員時代後半、教科指導以外にすべきことも多く、少し疎かになっていた英語教育。初心に帰り、学び直すために進学を決めました。
実はウーロンゴン大学のTESOLには権威ある先生が多く在籍されています。春期で学んだ内容も高度で非常におもしろかったです。
教員を続けていたら学べなかったことをたくさん学ぶことができていると純粋に思えています。教員時代に培ったと同時に凝り固まってしまった視点を柔軟にほぐしている最中という感じです。
最後に
改めて振り返ると、色んな立場で、色んな目標を持って訪れていましたね。本当はここにワーキングホリデーが入る予定だったのですが、いろいろあって年齢制限にも引っかかり断念。
ただ、1つ言えることはいずれも人の縁にとても恵まれていたということです。今回知らない場所に来たことでひとしおに実感しています。現地に住んでみえる日本の友人(今日もご飯を誘っていただきました)、ホームステイのホストマザー、大学の学友。
人も優しいし、日本の喧騒から抜け出したいと思っている方がみえたらオススメしたい国。人生で一度は行ってみてほしい国です:)
では。
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