そもそも会議って何のためにやっているの?
うまく行かない原因は何なの?
今回はこんな疑問にお答えします。
こんにちは、Kaiです。何だか風邪をひいたみたいで鼻水と耳詰まりが抜けません。せっかくOSHCという学生保険に40万もかけて加入したのに全然活用できず何とも言えない気持ち。体調管理には気をを付けないといけないと再認識しました。さて、今回は教員ハック系、会議の仕方についてです。
先生ってこんなにも会議やっていたのか・・・
学校現場に出て驚くのが会議の多さではないでしょうか。日常業務の中で多くの時間を占めている会議。何をそんなに議論するのかと思えますが、運営委員会や職員会議、校務分掌会、教科会や担任会。その他にも入試委員会や部顧問会、修学旅行の会議、指導のための会議などキリがありません。
教員の役割は多岐に渡るため、それぞれに会議が必要と考えられているわけですが、蓋を開けるとどうでしょう。
会議を進める主催者自身も教員であり、忙しくて自転車操業になってしまっていることもチラホラ。
・レジュメが毎回整理されていない、もしくは去年の使い回し
・話が平行線をたどる
・決定事項を担当が説明できない
・核心を避けて話す
・意見が出ない
・脱線が多い
など。僕自身多くの会議に参加しましたが、よくわからない会議も多かったです。せっかくの会議、イケてる会議にしたいですよね。
イケてる会議=充実した会議です。
充実した会議は楽しいんです!どうせなら、みなさんの力で楽しく学校を運営していきましょう。イケてる会議を作るために僕もたくさん会議について勉強しました。拙いながらそれらを踏まえて僕が実践してしたことを書いていこうと思います。
Excelでもお伝えしましたが、僕はとっても意義大事派。本質を見誤らないよう、まずは本質を見ていきましょう。
会議は何のためにやるのか
会議は何のためにやるのでしょう。
答えは議論して結論を出すためです。
学校に身を置いていたときは立場柄、多くの会議に出席させられ、もとい出席しました。
その中で非常に気になったのが「この会議はなぜ開催されているのか」でした。経験が浅いゆえの生意気に聞こえるかもしれませんが、わざわざ人を集めて行うほどの意味を見出せなかった自分がいたのです。集まっても意見が出ず、知っている人が進めていくだけ。煮詰まった議論はどこ吹く風。質問すると小馬鹿にされたり、怒られたり。
わかっていない者がわかっていないまま進むこともしばしばで情報を共有・報告する会としてすら成り立っていないものが少なくなかったためそう感じずにはいられなかったんですね。
会議は何のために行うのでしょうか。
気になって勉強することにしました。
するとやっぱり議論をして結論を出すことに行き着くんです。ではなぜ、本懐とズレた会議が蔓延しているのか、次はその原因を追求したいと思います。
会議がイケてない原因
教育現場の会議がイケていない原因は
1. イケてる会議を知らない
2. 議論耐性がない
3. ファシリテーター(進行役)の準備不足
主にこの3つです。
イケてる会議を知らない
教員の方はどこで会議の仕方を学ぶのでしょう。
答えは学校現場です。
数多くの会議に出席し、それがいつしか「会議のあり方」として蓄積されていくのです。ダラダラな話し合いも少なくない現状、それが普通になってしまうとそれができていれば「いい会議」になってしまうんですよね。
教員は教育のプロであり、会議のプロではありません。
果たして何人の方が自分の出席している会議がイケてないかもしれないと立ち止まり、その中の何人の方が愚痴るだけの自分をやめて改善方法を模索し、その中の何人の方が実際にPDCAを回しているでしょう。裏付けはありませんが、おそらく限りなく少ないと思います。
なぜか。
僕が話を聞く限り、民間企業も同じだからです。会議の結果が売上、ひいては給与につながる民間。そんな民間でも会議は悩みの種とのことなのに、ましてや利益追求がないにも関わらず忙殺されている教員に会議を科学している人が多いとは考えにくい、そう思います。
議論耐性がない
教員は議論耐性があまりありません(教員に限ったことではないかもしれませんが。)総じて目的志向で進めるのが苦手な方が多い印象です。意見に対する指摘や質問を自分自身への攻撃だと捉える人も一定数います。説明を求められたときにうまく説明できないときや盲点を突かれたときによく感情的になるのが典型です。
「自分が悪いってことか」
「何も知らないくせに好き勝手言うな」
「こっちは頑張っているのになんだその言い草は」
まぁ、こんな感じですね。議論にあるのは考え方の違いと情報格差、それだけです。良い悪いはありません。知らないから訊いているのであり、出席させている以上は説明責任があります。そして、何よりも頑張っていない人はいないんです。こういう方は言い訳や逃げ口上に走る傾向も強いのではないでしょうか。課題に向き合う機会を逸してしまうことになるので非常にもったいないです。
一方で、そういう方は論破することを最上と捉える節もあり、相手を言い負かして優越感に浸ることも多いため偉そうな人もしばしば。そして「言っても無駄」という雰囲気が蔓延り、行き着く先が「意見を聞いてもらえる人だけが発言する会議みたいな集まり」です。
ファシリテーター(進行役)の準備不足
議題に出すのが遅れた、もしくは忘れた。自身が意義やロードマップを把握していない。これは主催者の抜けです。
学校現場においては、なりたくてなったわけではない主任も多いので、こうしたミスにはなかなか肯定的に向き合えません。僕もついつい言い訳してしまうことがありました。しかし、考えないといけないのは集まった先生の1時間をもらっているという事実です。
例えば準備不足で1週間前にやっておかないといけなかった議題が発覚したときなぜできなかったのか、どうすれば忘れないのか、それを再発する可能性はないか、それらに真摯に向き合う必要があります。それが結果的に、主催者自身を守ることになるからです。
まとめ
いかがでしたか。
会議の意義:議論して何かしらを決めること
ただ、それをわかっているものの体現できていない原因。今回はこれらについて書きました。僕自身も当てはまる部分があります。ではダメかというと全くそんなことはありません。課題解決能力を育てる立場の教員の課題解決能力が低いわけがありません。まさに今、課題があるなら向き合って解決していけば良いんです。
こうした意義は、語れば誰もが「そんなことわかっている」と言うものの、浸透しきらないというか、どこか他人事でぞんざいにされているきらいがあります。
僕の価値観にもつながりますが、最も大切なのは目的を履き違えないこと。こうした意義、すなわち出発点を大切にしないとブレてしまうので気をつけたいところです。
では:)
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