今日は雑多な記事です。
ども、Kaiです。やっと秋になりましたな。風が心地よい。
〜プロって何だろう〜
みなさん、これに答えられますか。プロという言葉が意味するものは。今回は2人の方から示唆してもらった考えを僕なりに解釈していきます。
1人は教員現役時代にお世話になった先生の言葉。もう1人はオーストラリアでセミプロサッカー選手として活躍していた僕の友人の言葉です。
お世話になった先生編
1人目は初任校でお世話になって以来ずっと仲良くしていただいているB先生。彼と渡豪前に飲みに行ったときの話です。
プロとはプロになろうと突き詰め続ける人である。
これが彼の「プロとは」の答えでした。常に成長しようとする人である。自分が成長すれば、見えない世界が見えてくる。そこを突き詰めていくと、さらに見えなかった世界が見えてくる。
この繰り返しに向き合う人がプロなのだ、と。僕はこの言葉に心を打たれました。
そして、なんと彼は答えは出なかったと口にしたのです。60後半となる人生の大半を教育にささげ、僕から見たら圧倒的な人格者・教育のプロであるその先生が、答えは出なかった、と口にしたのです。これも僕には衝撃でした。
大ベテランで不易流行、生徒からの信頼も厚く経験豊富。にもかかわらず嫌味のない大先生。だからでしょうか。言葉に重みや深みが宿り、思わずハッとしたことが2つ。
教育も同じ
1つは教育も同じということ。
学校というほぼ全員が通る世界はどこか捉え方が固定化されてます。「学校教育は古い」「学校は社会と合っていない」という意見は「学校は常に同じ場所」という暗黙の前提があります。
しかし、蓋を開けるとどうでしょうか。同じ児童・生徒はいません。同じ時代もありません。どれだけ素晴らしい教育でさえ、永遠に温存はできません。
答えはない
2つ目は、捉え方に唯一の答えはないということ。
その大先生でさえ、答えは出なかったと明かしてくれました。それこそが教育の奥深さを物語っているわけですが、彼がそれを素直に口にしたこと。
きっと、プロとは何なのかに唯一無二の答えなんてないのだと思います。だからこそ「これを答えにする」という決断力やリーダーシップに価値があるのではないでしょうか。
答えのない世界で突き詰め続ける人こそプロなのだ、と改めて理解しました。
オーストラリアでプロをしていた友人編
もう1人はウーロンゴンで出会った友人Hikaruくん。彼は元々NSWのサッカーリーグで選手として活躍していました。オーストラリアのサッカー留学の礎を築いた第一人者でもあり、普通にすごい人です。
彼に誘われてフットサルリーグに参戦し、その後お好み焼き屋台を手伝い始め、話す機会も増えた中で僕が、ふと「これはプロの意識よな・・・」と感じる瞬間があります。それが
「お金をもらってサッカーをする人」
という彼のマインドセットです。言われてみれば当然ですが、その意味するところは非常に奥深い。ここでハッとしたのも2つ。
結果が全て
1つ目は結果がすべてということ。
結果が全てというのは言うまでもありません。いかにして生き残るか、活躍するかを分析する。パワーで敵わないオーストラリアの選手を押し退けて契約したいと思わせるにはどうしたらいいのか。
その中で活躍した彼だからこそ結果にシビアになれたのか、結果にシビアだからこそ彼が活躍できたのか。
おそらく両方だと思います。プロとは結果に人一倍こだわるマインドが必須。そして、結果に人一倍こだわるマインドこそがプロ意識。そんな裏表一体を感じました。
ありがたい
2つ目がこの「ありがたい」。
ありがたいとは有り難い。文字どおり有ることが難しい。実は献身的で懸命、戦術も理解している日本人プレイヤーはオーストラリアで重宝される傾向にあります。
ビザ枠(海外枠)を日本人プレイヤーに使いたいチームも多いとのこと。これは日本人選手には追い風です。これは決して頻繁に起こり有る現象ではありません。
そして、お金をもらってサッカーができる。日本でお金をもらってサッカーをする人が何人いるでしょう。ほとんどが恐ろしく微々たる額ではないでしょうか。一方でオーストラリアでは遥かに多くの額をもらうことが可能です。
リビングコストの高い国なのでそれだけで食べていくのは難しいかもしれませんが、それでもはっきり言ってめちゃくちゃもらえます。
最後に
2人の視点をまとめて今の僕の「プロとは」についての解釈をまとめます。
・答えのない世界で成長に向き合い続ける人
・お金をもらう人
実は昨夜、B先生と大学の後輩Sくんと飲みました。ありがたいことにSくんは僕を慕ってくれています。そんな状況でまさに僕は何のプロを目指しているのか、ふと思い返したのでまとめてみたというのが今回の経緯です。
皆さんにとってプロとは何でしょう?考えてみるとおもしろいですよ:)では。
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